半世紀前の我が町を振り返り登校をなぞり景色を蘇らせる地図遊びの世界

若久小学校を卒業して半世紀以上が経過、福岡市は目覚ましい発展を遂げております。福岡を長年離れて過ごし帰郷してみると様変わりした街並みや景色に唖然とすることもあるやもしれません。幼い日の記憶にあった細い泥んこ道が見知らぬ舗装路に変わったり、はたまた無くなって馴染みのない2車線道路が横切っていることはそれほど珍しくありません。遥か昔に寝起きした家がまだ健在であることの方が不思議な程の長い時間が経過しております。果たして1970年当時の学区内と現在の地図を比べてみると新しい発見や気づきが見つかるやもしれませんよ。

1970年当時の学区内地図

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1975年当時の学区内空中写真

1975年当時の若久小学校空中写真

追記:2026.4.4
Gemini AIで補完生成してみました。

 

Mapサイトに移動 すると現在の地図と重ね合わせて見たり、住所を入力して検索することもできます。当時の実家や住まいを空から眺めてみたり、当時の登校ルートをなぞてみると周囲の景色を思い出すきっかけになったりと現在の街並みへの変遷を追ってみるのは案外と楽しいものです。

 

(おまけ)

ジブンは現在埼玉県さいたま市大宮区に、野村くんは見沼区に居を構えております。我が家は1963年頃までは田んぼの中でありました…この辺は明治13年に陸軍が作成した「迅速測図」まで遡って現在と比較することが出来ます。それによると我が家は大宮区と見沼区(右側)を隔てる水田地帯(見沼田んぼ)の真ん中を横切る道の大宮側付根あたりに位置しております。

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「大宮川岸」とある場所は、古来から河川を使った輸送の集積基地に相当する場所であったと考えられますが….この辺を太古まで遡ると….(海面シュミレーターFlood Mapで現在の関東平野の海面を13m上昇させて約2,400年前の弥生時代の旧海岸線をシュミレート)見沼田んぼは古代の海岸線付近〜海の下にあったと推察されます。

 

我が家の近所にある武蔵一宮 氷川神社(創建は約2,400年前とされている)は当時半島のように突き出た中にあり、海岸線からそう遠くない位置にはるばる出雲の国から海路を伝ってやってきた出雲族が創建したと言われています。氷川神社から最短距離にある海岸にあたる「大宮川岸」は太古の昔出雲族の上陸地点だったやもしれません….と空想科学的に与太話を想像するのは素敵じゃありませんか? 😁😁😁

参照:「神々の古代史に見る武蔵国・埼玉のはじまり〜出雲族が海から上陸して拓いた氷川神社

 

 

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