先週の土曜日、午前中に茨城県土浦に仕事があって「これは近いぞ」とばかりに急遽ではありましたが、牛久在住の堤に連絡して午後過ぎに会いに出掛けました。
クラスイチの秀才だった彼と会うのは、昭和57年(1982年)同窓会の追加開催となった8/12「ビアガーデン同窓会」以来40年ぶりです。九州大学卒業後気象庁に入庁以来「学術研究と行政を言ったり来たり」ながら、気象学に携わる研究者として現在もフルタイム勤務で活躍中らしい。(→プロフィール)
COCOS ひたち野うしくにて
自宅近くの♥マークが野村宅
脇道に逸れること無く研究者を続けられるというのは幸運というか、実力の為せる技。出来ればジブンもエンジニアを続けたかったんですが時代の趨勢には勝てず…おかげで180度趣の異なる世界で面白可笑しい人生を歩めたので後悔は微塵もないですが、人に説教垂れるほどの深みを醸すには至らずでなんだか羨ましい。
郷里を離れて長いと半世紀以上むかしを振り返って”当時を懐かしむ”というより、いまや”昔のことは幻であったのではないか”という疑念さえ湧く心境の歳ですから「これはこうだったよね?」「あのとき駅で見かけたあの子は勘違いだったのか?」「いや、あの子は〜に引っ越したから間違いない!」とか、まるで答え合わせを何度も繰り返して大層古い記憶を掘り起こしては確かめ合って自分の過去の存在証明をしてるようでもありました。
そういえば小学校2年生頃の互いに怪しい記憶をすり合わせてみると、どうやらジブンが若久小学校の2年生に転入して来て以来、堤とは卒業まで同じクラスだったらしく、彼がその当時の我が家の店先までやって来てディテールを覚えているのには驚くばかりで彼の記憶力に舌を巻きます。
そんなこんなで2時間以上話し込んでしまいましたが「研究者とエンジニア」のつまらない会話にならないで互いにほっとしたのではないかと。また”答え合わせ”の続きをしてみたいと思いました。