通知表で振り返る進路選択のリアル〜憂きことのなおこの上に積もれかし 限りある身の力ためさん〜

実家の荷物整理をしておりましたら父母の遺品だった荷物の中から当時の自分の成績通知表が出てきて、まじまじと見たのは半世紀ぶりしっかり読み込んだのは初めてだったやもしれません。せっかくなので通知表で振り返るジブンの進路選択を時系列で回想してみました。

長尾小学校(城南区)から若久小学校に中途転入して来た2年生当時は…酷いですねぇ…近所だった岩本くんとドブ川に入ってザリガニ採りやったり正月でもないのに独楽回し、町内をはみ出し遠方まで走り廻ってた記憶しかありません。

若久小学校2年2組

 

出来ない子の烙印押された子供が多少頑張ってもせいぜいが平凡しか持ち得なかったジブンですが、”新聞配達”という社会との接点を早くに持ったことで、現実を見つめる眼だけはみんなよりひとつ頭抜けていたかもしれません。

若久小学校6年4組

 

中学に進学したら勉強したか…というとそうでもなく、村上さんから背中を押してもらったクラブ活動(バレーボール)で体を苛め抜く毎日、参考書買って捲り出すのは3年の夏が終わって以降だったと記憶しています。平凡ながらも「中の上」あたりまで成績を伸ばせました。

筑紫丘中学校3年1組

 

当時の我が家の経済事情もあって不本意な受験となった高校進学ですが、春先からモーターサイクル三昧でおそらく何処に進学してもやはりまともに勉強しなかっただろうとは推察します。思えば幼少の頃から遥か遠くを目指して旅することを夢見ていたジブンです。

高校時代の通知表がみつかりません
筑紫中央高校3年10組

大学受験に向けて勉強のアクセル踏むのが遅れた、というワケでもなく学力不足で現役合格は叶わず、福岡市立図書館まで足を運んでは「籠もって独学」の日々。2年続けて九州芸術工科大学で工業デザインを学ぶことを目指しますがあえなく玉砕。合格通知が届いた「給料貰いながら進学できる”税務大学校”」と「入学金免除で学費が国立大の8掛け、寮費無償な”職業訓練大学校”」から将来を選択することになりました。そしてとりあえず我が家で”タダ飯喰らい”な状況を脱出、バイクをフェリーに積んで、櫻木たちに見送られながらいざ都へ出発することとあいなりました。

 

職業訓練大学校-相模原キャンパス
キャンパス内(左端)に学生寮、職員寮

「専門知識・技能を有する職業訓練指導員を養成する」ことを目的とした当時労働省所管の大学校でしたが、中身的には大学工科系プラス職業指導教員、実技訓練を加え、卒業までに取得すべき最低単位数が150とスパルタンな内容で、初年度は平日授業が午前8:30〜午後6:30 、土曜日が午前8:30〜午後3:30 びっちり隙間なく組まれた講座のほとんどが必須科目、8割以上単位取得出来なければ進級さえ危ういという設定(実際3割くらいが毎年留年)で生涯イチバン勉強を強いられた1年間でした。おまけに夏休みが30日と「モラトリアムな大学生活」は木っ端微塵に砕けた記憶です。

月額2万円の奨学金だのみの初年度、学費年額8万9000円と食費(寮食 朝昼夕 計290円/日)だけは確保、連日の講義に耐えなんとか基礎学科はギリ合格突破、2学年進級後はやっとバイト出来る余裕が出来て週3〜4日は夕方6時〜夜中3時までコックとして働き、睡眠4時間でキャンパス内の寮から飛び起きて講義に走る、を繰り返しておりました。

卒業前年10月の暫定成績表

ここに至るも基礎学科全般は芳しくなく、体育が”優”で専門分野の結果を「図画工作〜技術家庭」の延長と見立てれば、まんま小学校以来の成績の反映にも見えます。それでも甲斐あってか全体成績としては学校推薦、教授推薦を得られ就職進路には複数の選択肢がありました。

1)  学校推薦:国家公務員上級乙種付帯の刑務官職(刑務所内での職業訓練指導員)
2)  学校推薦:雇用促進事業団所管職業訓練施設の職業訓練指導員
3)  教授推薦:カネボウ化粧品
4)  教授推薦:日本油脂
5)  教授推薦:コロムビアマグネプロダクツ
6)  一般試験合格:カリモク家具
7)…….

将来の安泰を考えれば学校推薦で進路が開かれる公務員職を選択するのが順当…とも思えましたが、最終的にジブンが選んだのは 「フロッピーディスクというコンピュータ用次世代記録媒体の開発設計をしてみないか」という誘いがあったDENONブランドのカセットテープを製造していた会社で、エンジニアの肩書を持ったジブンの社会人デビューとなりました。

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危うい成績に始まり、せいぜいが平凡な成績しか残せなかった子供は「将来にしっかりした夢を持って挑んだ人生」であったことは一度もなくて見えない将来に邁進する連続でした。ただ上京してからの経験は「現実を見つめる眼」に囚われていた子供を「夢から夢へとただ覚めて行けばいい」と考える青年にしてくれた気がします。

人生後半戦、体も頭も昔ほどには動いてくれないのに愕然とするコトもありますが「まぁこんなもんだ」と平凡に戻って暮らしております。お金残せた「勝ち組、負け組」判定で言えば思いっきり負け組ではないかと思いますが「限りある身の力ためさん」と挑んだ二十代〜四十代には思い切り振り切った生き方が出来たことに満足もしているワケで、人生の捉え方はそれぞれに違っていいと訳知りな話も出来そうになった六十八歳です。

 

 

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